中国武術は格闘術としてはそれなりに厳しいという話

すいません、いきなりタイトルで煽りました。

真剣にその筋で頑張っておられる方にはお詫び致します。

一般論として、日本で普及している中国武術の多くが競技スポーツとしての格闘技に「格闘術として」拮抗するのは難しい、という話をしたいと思いました。

簡単に言うと「中国武術の学習者が格闘技の学習者に試合で勝つのは、少なくとも同レベルのキャリア、練習強度であれば難しい」という話です。

今更と思う方も多いと思いますが、運悪くこの書き投げされたブログに辿り着いた方はご笑覧いただければ幸いです。

 

途中までは真面目に推敲して文章を整理してたのですが、途中で集中力が切れました。

あらかじめご了承ください。

 

 

今時そんなことを言う人はそんなにいないと思いますが、「競技格闘技はルールの制約があるから何でもありの中国武術(あるいは古流)の技に対抗できない」というファンタジーがありました。或いはそういう事例も無くは無いのかも知れません。

でも、その「何でもあり」がネックだと個人的には思います。

 

端的に言うと

「競技ルールが無い為に愛好者の裾野が広がらず、集合知が使えない」

中国武術はやる事が多すぎる」

この2点が原因で、しかもそこに中国武術アイデンティティがそれなりにあるので解消は難しいだろう、というお話です。

ついでに言うと「中国武術」という括りが大雑把すぎるというオチもあるのですが。

 

●「競技ルールが無い為に愛好者の裾野が広がらず、集合知が使えない」

 

「競技格闘技はルールの制約があるから何でもありの中国武術(あるいは古流)の技に対抗できない」と先に書きました。でも、競技ルールがないと普及しないんですよ。

普及しないというのは愛好者人口が増えないというのと同時に、集合知が使えないという事なんです。

 

競技格闘技で、例えば誰かが考え付いた技を試合で使ったとします。それが有効であると判断されれば瞬く間に拡散されて、それに対する対抗手段や破法が開発される。そしてそれが次のアップデートへと繋がっていきます。なので「ルールの制約はあるけど、ルール内で出来る事が飛躍的に増えていく」事になります。

自分達の仲間内で保守的に技術を伝えるのを(多くの場合)是とする中国武術は、これを自分個人か仲間内の小さなコミュニティでやらないといけない。辛い。

 

中国武術というと日本でも学習者がそれなりのボリュームになりそうに思えますが、これを「●●拳」までカテゴリを切り分けて、更にそれを「コンタクト制の試合をやっている人」まで絞ると、相当多いところでもせいぜい3桁前半じゃないかなあ。ほとんどの流派は2桁だと思います。

競技人口X万人、XX万人というところに張り合うのは、個人の資質を別にしてジャンルとして考えると、そもそも無理な気がして来ませんか。ジャンルとしての強度が全然違うんですよ。

 

●「中国武術はやる事が多すぎる」

 

ご存じの方も多いと思いますが、中国武術という枠には少なからず武器術が含まれます。成立の成り行きを考えれば武器が先と言うべきでしょう。

競技格闘技は、取り組み方にも依ると思いますが極論「ルールの中で如何に勝つか」だけを考えれば良いと言えます。必要な事だけを行い、要らないものは全て排除。それが正しい姿です。

中国武術はそうはいかない。何故なら伝承される文化体系だから。

僕は素手の格闘が強くなりたいので武器はやりません、という人も時々いますが、見ている限り余り意味がありません。武器をやる事がある程度上達の階梯に含まれているという事もありますし、仮に武器を無くしても素手で「使わない技」の練習を排除する事は尚難しい。何故なら制定されたルールが無いので「使わない技」の定義付けが明確にならないから。ルールが無いというのはここでもネガティブに効いてきます。

不要なものを全て取り除いて厳選された練習をしている人に、徒手から武器からオールラウンドに練習している人が、前者の人のルールに準拠した内容で行われる試合で勝つのは相当に無理ゲーで、やってる人はホントに凄いと思います。競技選手レベルではもちろん、草試合でも後者は圧倒的にディスアドバンテージを強いられてる訳ですから、勝てなくとも胸を張ってほしいと思います。

何でもありならMMA?いや、あれもちゃんとルールに最適化された技術ですからね。個人的にはあれこそ先に挙げた集合知の究極だと思ってます。

 

●おまけ「中国武術と言う括りが大雑把すぎる」

 

 

太極拳少林拳心意拳通背拳詠春拳摔跤……みんな中国武術ですけど、やってる事は全然違いますよね。「中国武術は~」と括って言われても困ると言われるとその通りかなあと思います。ごめんなさい。

特に摔跤なんかは今回の話題からは比較的遠いかなと思いました。

 

ここ数年ネットに何か書くと言えばTwitterみたいな状況だったので、長文書くのに疲れた。支離滅裂。

書きたかったのは「中国武術で格闘技の試合に勝つのは構造的にすごく難しい」「なんでもありは戦う上で必ずしも有利に働かない」みたいな事だったのに、書き終わってみると「ルールのある試合が無いから中国武術は普及しないし勝てない」みたいなオチになって笑うしかない。実際そうなのかもしれないけど、中国武術アイデンティティって「競技としての試合に勝つ」というところには無いので気にする必要はないし、普及もそもそも必要ないと思ってる人が多いジャンルなのでどうでもいいのかもしれない。

 

ただ、強くなりたい、試合や喧嘩に強くなりたいと思って中国武術の門を叩く人に対して未だに「中国武術はなんでもありだから強い」みたいなファンタジーを説く人を見てなんだかなあと思ったり、「身内だけで練習して普及しなくてもアップデートされなくても俺たちの技は外で通用する」みたいな話もちょっとどうかなあと思って書き殴ってみました。

中国武術自体は、これはこれでいいものなのよ。ほんとに。